鳥取たくみ工芸店

2020/12/19 12:29


しまいべ織は、木綿糸を藍で染め一間機(いっけんばた)で織った因幡の手織りです。江戸時代の農民は衣服の素材や色が制限され木綿を藍染にしたもの以外扱えませんでしたが、藍染の発達とともにその制限のなかで少しでも美しい表現や技法が工夫され姑から嫁へと代々伝えられてきました。しかし社会の移り変わりにより織り手は減少し、現在も継承している唯一の織り手が森原潔子です。夫の勧めで染織の道を志した森原さんは鳥取県倉吉市で染織家吉田たすくの元で織りを学び独立。今年で40年になります。

かつて、機織りは女性の仕事とされ、農村の主婦たちは忙しい農作業の暇を見付けては機を織り、家族の着物を作るために機織りにいそしんだそうです。森原さんはそういった暮らしを今もされており、天気が良い日は朝、夕近くの畑で農作業をし、お孫さんの子守や家事もこなします。そして合間を見つけては織り機に向かいます。
「朝方の山の色のとても好きで、自然を感じて物作りをしたいです。」
と語る森原さん。
まさに自然体という言葉が似合います。

しまいべ織は未晒(みざら)しと濃淡によって染め分けられた藍染の木綿糸と材料とし、四枚の綜絖(そうこう)に糸を計算して通し、4本の踏木を踏む足の順番によって織り柄を作り出します。
糸の太さや濃淡、織柄を組み合わせによってできるしまいべ織ですが、森原さんは中まで藍色が綺麗に見えるようにと太い糸を使いたい時は3本の細い糸をまとめてたり、卓布の端の部分に絣の技法を使ったりと、様々な工夫を凝らして物作りをされています。
そうすることで森原さんらしい優しい風合いの作品を生み出します。

機織りを続けてこれた感謝を込めて毎年明治神宮に奉納する森原さん。
「芸術品ではなくみなさんの暮らしに受け入れられるものが作りたいです。それが長く続けれた秘訣です。」
と語ります。
そんな森原さんの作品はコースター、卓布など日常で使えるものばかりです。
シンプルな柄は和も洋も良く合い、そのまま敷いても美しいですし、花瓶や玩具など、どんなものを上にのせても引き立ちます。
自身の生活の一部として織られたしまいべ織。
暮らしに溶け込み、そして暮らしを引き立てる良き相棒となります。