鳥取たくみ工芸店

2020/12/11 12:20

トントンカラリ
小気味よい音が工房に響く。ここは鳥取県西部・境港市にある弓浜絣を作る「工房ゆみはま」だ。
音の正体は機(はた)織り機が奏でる作業音。
織り機には縦の方向に840本もの糸がセットされ、水平方向に緯糸(よこいと)が巻かれた杼(ひ)という木製の道具をカラリと入れる。その後筬(おさ)と呼ばれる道具で緯糸をトントンと押し詰めて織り目を整える。この作業を繰り返すことで一枚の布に仕上がっていくのだ。
しかしこれは工程のほんの一部にすぎない。
工房ゆみはまでは原料となる伯州綿(はくしゅうめん)から育てている。そして絣の模様を織り出すため、染め分ける箇所をくくる作業をする。その後天然の藍で染め、擦れに強い丈夫な糸となりやっと機織り機にセットされ絣になっていくのだ。
工業化された今でも全国的にも珍しくひとつひとつ手作業で作っている工房ゆみはま。
なぜなのか?

鳥取の民藝のプロデューサー吉田璋也と親交があった初代嶋田悦子さんの夫太平さんは銀座たくみで働き、悦子さんは柳宗悦の甥である染織家の柳悦孝、悦博兄弟に手ほどきを受けて、織物を学んだ。一九六八年日本民藝館で行われた弓浜絣展で展示されていた古い絣に感動した嶋田さんは、地元境港に戻り第二次大戦後はほとんど作られなくなった弓浜絣を復興することを決意。復興の道はとても厳しく試行錯誤の連続だったが、天然の素材を用いて人の手で作ることで満足する出来となったという。つまり感動した美しい絣を再現するためには手仕事で丁寧な工程を踏むことが不可欠だったのだ。

嶋田さんの仕事に対しての謙虚で実直な姿勢と誠実な人柄は周りに共感を生み、弓浜絣の作り手、使い手の輪は広がっていった。その中の一人が田中博文さんだ。農家の七代目に生まれた田中さんは、手仕事に囲まれた幼少期を過ごし、社会人になり異業種に就いていたが縁があり工房ゆみはまに入ることに。最初は生業として織物をすることを不安に感じ躊躇した。しかし元来の凝り性な性格と嶋田さんの仕事への姿勢に感化され絣にのめり込み、工房を牽引する二代目代表となった。

人の手で育まれ地域の文化となり、それが脈々と受け継がれ伝統となったものには力がある。
そして使い込むほど愛情がわき、くらしが豊かになり、安らぎを与えてくれる。
無垢な思い、願いがつまった布。弓浜絣。
是非見て触ってみてください。